米、我国の和平斡旋依頼を断る

大東亜戦争への道』中村粲

 米、我国の和平斡旋依頼を断る

 だが我国はなほ和平への望みをあきらめず、ブリュッセル会議最終日の十一月十五日、広田外相はグルー米国大使に「日本軍の上海での作戦は円滑に進んでゐるが、これ以上深く支那軍を追撃する必要はなく、この時期に平和解決を図るのは支那自身のためになること、支那政府が南京を放棄するのは非常に愚かであること」等を述べ、現在ならば日本の講和条件は穏当なものであるので、米国が蔣介石に対し和平交渉に応ずるやう説得してほしいと希望し、もし支那側に和平の意思があるなら、日本は代表者を「公然とでも秘密裏にでも」上海に派遣しようとまで語つたのであつた(グルー『滞日十年』)。
 この時には、日本はまだ大本営も設置して居らず(十一月二十日設置)、また蘇州――嘉興の制令線(作戦限界線)も撤廃されて居らず(十一月二十四日撤廃)、勿論南京攻略も策定されてゐなかつた。このやうな時期に我国が再度、日支和平斡旋の努力を米国に求めたことの意味は頗る大きいと云はねばならない。南京陥落を何人も予想してゐなかつたこの時期ならば、支那側も面子を失ふことなく和平交渉できた筈である。だが、広田の時宜を得たこの好意的勧告にも拘らず、英米とも積極的な斡旋の努力をしなかつた。この好機の逸失は明らかに英米の責任に帰すべきものであらう。(p460)