記者は何を見たか

『南京の実相』日本の前途と歴史教育を考える議員の会 監修

 中国が主張して来た南京で「三十万人の虐殺」は、当時のニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズ、朝日新聞東京日日新聞(毎日新聞)を調査することで荒唐無稽なことは一目瞭然となる。
 新聞記事を検証する前に、基本的な事を説明すると、南京城内の広さは東京の世田谷区(58・81平方キロ)より狭く、城内は、(城外の下関を加えて)約40平方キロ。その約十分の一が安全区(3・8平方キロ)だった。そこには、日本軍将兵も勝手に入る事が禁じられていた。その城内では、外国の報道陣が自由に取材し、朝日新聞の取材班は約八十名、毎日新聞は約七十名の大取材班を投入していた。(昭和十三年一月号『文芸春秋』「南京へ!南京へ!」)
 ちなみに、現在、全国紙の世田谷区を担当している記者は一名で、常駐している訳ではないとの事である。(p41)


 その朝日の記者の一人、山本治上海支局員は「事件というようなものはなかったと思います。朝日でも話題になっていません」と「『南京事件』日本人48人の証言」(阿羅健一著)の中ではっきり答えている。(p42)


 戦後、戦時中は、検閲で報道の自由がなかったなどといわれているが、南京攻略戦で朝日新聞の取材班全体の指揮をとった上海支局次長 橋本登美三郎氏は当時の報道規制について「何も不自由には感じてない。思った事、見た事はしゃべれたし、書いていたよ」(前掲書)と証言している。(資料6)
 南京攻略戦に同行取材した日本のメディアは、朝日、毎日以外にも報知新聞(現、読売新聞)、読売新聞、同盟通信(現、共同、時事)、新愛知新聞(現、中日)、福岡日々新聞(現、西日本)、都新聞(現、東京)、福島民報など全国の主要メディアも参加していた。その他、大宅壮一西條八十草野心平林芙美子石川達三小磯良平など、作家、詩人、評論家、画家も多数、南京に入城しているが、戦後、新聞労連の活動を熱心にしていた朝日と毎日の数名以外、南京で「虐殺」があったと語ったものはいない。
 南京攻略戦当時、日本は国際連盟を脱退していたので、南京城陥落を取材していた欧米の報道機関は、単なる「第三国」の報道機関でなく、よりきびしい目で旧日本軍の動向を取材していた事になる。(p42)