埋葬記録の不自然な記述

『南京の実相』日本の前途と歴史教育を考える議員の会 監修

 また、活動記録のあった紅卍字会の埋葬記録の中にも不自然な記述がある。それは、東京裁判に提出された埋葬記録一覧表によると、一ヶ所だけ「埋葬箇所と備考」が空白の日があり、ほとんどが三桁にもかかわらず、最大の埋葬数六四六六名となっている事だ。(資料12)
 その月日は、十二月二十八日となっているが、その日、南京は「曇り午後小雪を交へた雨 夜雪になる」だったのです。(p45)


 南京攻略戦に上海派遣軍参謀として従軍して、その後一九三八年二月から中支那派遣軍南京特務機関長になって一年間南京に居た大西一大尉が、一番詳細に南京の事を知る立場にあった。その大西氏は、強姦を一度見たと証言しているが、日本軍による暴行、略奪は「見た事がない。私は特務機関長として、その後一年間南京にいた。この間、南京はもちろん、蕪湖、太平、江寧、句容、鎮江、金壇、丹陽、揚州、除県を二回ずつ廻ったが虐殺を見た事も聞いたこともない」と証言している。また、四万三〇七一人を埋葬したという紅卍字会について「中国兵の死体は中国人が埋葬しました。埋葬するのに日本軍に連絡するように頼んだ事がある」とか「紅卍字会が中心にやっていた」と述べている。しかし、約十一万人を埋葬したという "崇善堂" については「当時、全然名前を聞いた事はなかったし、知らなかった。それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたと言っている。当時は全然知らない。」と証言している(『「南京事件」日本人48人の証言』)。大西大尉の証言は、前述した阿羅健一氏のスクープ記事を裏付けている。(p45)


 資料16(第三章資料11)を見て頂ければわかりますが、南京で埋葬活動をしていなかった崇善堂が約十一万人の埋葬を加算していたのです。
 実際に埋葬していた紅卍字会(こうまんじかい)の記述にも不自然なところがあります。
 約六千人を埋葬したとなっている十二月二十八日は、雪が降っていたのです。また、その日だけが、埋葬場所と備考の欄は空白なのです。

 東京裁判に提出した紅卍字会の記録を資料17(第三章資料12)に縮小してありますが、子供や女性がほとんど記載されていません。…
 男性が戦死体とすると女性や子供がほとんどいなかったという事がわかります。
 婦女子の死体がほとんど無いのですから、この記録だけでも「真相箱」の婦女子二万人の虐殺は嘘とわかります。(p71)