何應欽の軍事報告書

『南京の実相』日本の前途と歴史教育を考える議員の会 監修

 中華民国軍政部長 何應欽の軍事報告書(『何上将抗戦期間軍事報告』上冊 文星書店(台湾)中華民国五一年六月)の南京攻略戦(上海から南京)での戦死者数(陣亡)は、三三〇〇〇名となっている。(資料13)
 この軍事報告書には、南京攻略戦においての南京陥落前後から、それ以降のことを詳細に記載してあるが、南京に関した日本軍の「戦時国際法違反」としての「虐殺」は、一行も報告されていない。それは、大西一特務機関長の証言を裏付けている。また、一年目の死傷者数三十六万人は中国全土のものである。つまり北京や天津も含んでいた。
 そして、南京陥落前の一九三七年十二月七日まで南京にいた蒋介石は、国民党の軍紀の乱れを「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(中略)敗れたときの計画を先に立てるべきだった。撤兵時の略奪強姦など軍紀逸脱のすさまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」と蒋介石の日記(十一月三十日の月間総括欄)に記載されていた事を二〇〇七年五月二十五日、産経新聞が報道した。この国民党軍が南京城内に雪崩込んでいたのである。
 世界紅卍字会南京分会長 陳漢森は、比良艦長、土井中佐へ礼状を出している。そこには「…閣下は民衆が飢えている状況を察され、小麦粉と食用油を賜り、大勢の民衆の命をお助けになりました。且つ自らご指導に当たられました。(略)近隣である日中両国の親善を祈願したいと存じております(以下略)」と述べている。(資料14)
 ところが、紅卍字会の陳会長が感謝状で述べた事と、まったく逆の証言を紅卍字会の許伝音副会長は、東京裁判で陳述している。(p45)