伝聞によるラーベの記録

南京事件証拠写真」を検証する』東中野修道 小林進 福永慎次郎

 そこで私はベルリンから綴りのマイクロフィルムを取り寄せ、自分で確かめてみることにした。問題の箇所を読んでみると、たしかに「陥落から三ヵ月が過ぎても下関〔南京の揚子江岸の港町〕の揚子江岸にはいまだ三万体もの死体が横たわっている」という趣旨のことが書かれていた。しかしよく読んでみると、ラーベはそれを「虐殺による死体」とは明記していなかった。また、彼はみずからの目撃としてではなく伝聞としてこれを書いていた。(p09)


 南京戦は戦時における戦闘であるから、当然のことながら、日中双方に戦死者が出た。では死体とは本当に虐殺による死体だったのか。そこに間違いなく死体があったのか。それはどれほどの数だったのか。(p09)


 そうするうちに疑問が出てきた。南京で戦死体の埋葬を指揮した南京特務機関の丸山進氏にお会いしてみると、氏は南京陥落(昭和十二年十二月十三日)から三ヵ月後の昭和十三(一九三八)年三月十五日をめどに埋葬を完了させたので、ラーベの言うような三万体の死体はそのころはもうなかったはずだと語られた。また、じっさいに埋葬された遺体の数をできるだけ正確に計算してみると、一万四、五千体であることもわかった。三十万、あるいは二十万という数字からは程遠いものであった。(p10)