捕虜の話

『「昭和の大戦」への道』渡部昇一

 オーストラリアとの関係について、一言しておく必要がある。オーストラリアは日本に一方的に宣戦を布告しながら、戦争中の捕虜虐待を最も声高に言った国であるからだ。
 一九九五年(平成七)二月十五日、同国のキーティング首相は戦没者追悼式典で、日本側の捕虜取り扱いについては「怒りは消えない」と言い、次代を担う子供たちにも「これを忘れるな」と繰り返した。しかし、一九四四年(昭和十九)八月五日、オーストラリアのカウラ市内にあった捕虜収容所から日本兵が脱走を企てたとき、オーストラリア兵は無差別に砲火を浴びせ、実に二百三十四人を射殺し、百八人に重軽傷を負わせたのである。
 これに対して、長崎市にも戦時中、捕虜収容所があり、オーストラリア兵が収容されていた。アメリカが投下した原爆で収容所が破壊されると、捕虜たちは脱出し、市民の中に交じった。だが、家族や友人を原爆で失い、連合国憎しの極限状況下でさえも、日本人は何ら彼らに危害を加えなかったのである(『朝日新聞』平成七年三月十三日、「声」欄に寄せられた相田全民氏の投書、および同氏からの私信による)。
 私の知っているオーストラリア人の教養ある人の中にも、捕虜の話になると興奮して日本を責める人がいる。読者の周囲にもいるかもしれない。そういう人たちには「あなたたちのほうがもっと酷かったのだから、昔の話は止めましょう」と言ってやるべきである。彼らは自分たちのやったことには驚くほどに無知であり、しかも、日本人のやったことは、戦時中の反日プロパガンダがそっくりそのまま頭に入っているのである。(p195)