蔣介石の謀略、第二次上海事変

渡部昇一の昭和史(正) 【改訂版】】渡部昇一

 通州で虐殺が行われる一方、上海でも日本人の生命に危険が及んでいた。いわゆる第二次上海事変であるが、この戦闘は蔣介石軍のほうから始めたものである。…
 上海事変については、トレヴェニアンの『シブミ』(菊池光訳、早川文庫)というベストセラー小説が、その実態を見事に書きつくしている。(p290)


 この上海事変で蔣介石が狙ったのは、「日本がシナを蹂躙している」というイメージを作り出し、国際世論の同情を集めようということであった。そして、あわよくば一緒に戦ってくれる第三国が出てくれないかとも考えていた。
 世界の注目を集めるために、蔣介石は一般市民を犠牲にすることさえ厭わなかった。日本側が欧米からの求めに応じて上海から撤退することにした後に、何が起きたか――そのことを、トレヴェニアンは次のように書いている。

 「しかし、八月十二日に中国側は日本総領事館と商社の電話線を切断した。その翌日、十三日、金曜日に、中国軍第八十八師団が北停車場に到着して、租界から外に通じる道路をすべて遮断した。それは、ごく少数の日本軍と自分たちの間の緩衝用にできるだけ多くの一般市民を閉じ込めておくのが狙いであった。
 八月十四日にアメリカ製ノースロップ機に乗った中国軍パイロットが上海を盲爆した。高性能爆弾の一弾がパレス・ホテルの屋根を貫いた。別の一弾がカセイ・ホテルの表の路上で爆発した。七百二十九名が死に、八百六十一名が負傷した。三十一分後にべつの中国機が女性と子供の避難所になっていた大世界娯楽センターを爆撃した。千十二名が死に、千七名が負傷した」(この引用文に出てくる固有名詞や死傷者の数は、小堀氏の論証によれば、きわめて正確なものであるという)。

 蔣介石は、一般市民が逃げられないように道路をすべて封鎖し、しかも民間人がいるに決まっているホテルなどを爆撃したのである。
 一説によると、蔣介石はあえて外国人の被害者を出すことで欧米を日中戦争に引きずり込もうとしたと言われるが、そのようなことで無差別爆撃をやったとすれば、これこそ "戦争犯罪" と呼ぶべきものではないか。
 いずれにせよ、上海事変においても、日本が一方的に攻撃を開始したという東京裁判歴史観はまったく成り立たない。(p291)