裁判でその信憑性が否定された東証言

『再審「南京大虐殺」』竹本忠雄 大原康男

 ただし、少数ではあるが、日本軍兵士のなかには自ら虐殺を実行したと告発する人達もいる。
 告発側は、日本軍兵士自らが<大虐殺>を「自白」したものとして、こうした証言・手記を重要視しているが、しかし、当人の主張が公式記録に残る所属部隊の行動や同僚の証言などとはまったく行き違うなど、信憑性がないと判断してよい。
 そうした「自白」の例をいくつかあげてみよう。
 『ザ・レイプ・オブ・南京』に引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約十日間にわたって、殺人と強姦を行ったと述べている(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。しかし、彼の所属する部隊は陥落二日後の十二月十五日には南京から転進しており、この人物が十日間も南京に残留できるはずがない。彼自身、のちに取材に応じて「記者が何かおもしろいことはないかと聞いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体の信憑性を否定している。
 曽根一夫という人物は「手記」を出版し、そのなかで南京戦と南京陥落後の虐殺事件の実行と目撃談を書いている(『続・私記南京虐殺』など)。しかし、この人物は手記のなかで自らを歩兵の分隊長と称しているが、実際は砲兵の初年兵であった。砲兵は、一般に歩兵とは違って第一戦での戦闘に参加することはなく、実際に曽根が所属した部隊(第三師団野砲兵第三連隊)は、南京戦では後方に位置した部隊であり、中国兵を間近に見るという戦闘には参加していない。また、入城式には彼の属する部隊の一部が参加しただけで、部隊そのものは南京城内に入ってもいない。従って、彼が書いているような虐殺を南京やその近郊で見ることも実行することも不可能であり、南京戦中、行動をともにした戦友もそうした虐殺行為を目撃・実行することはあり得ないと証言している。つまり、曽根の「手記」そのものがまったくの創作だということである。
 こうした「自白」証言は、当人ばかりか戦友も虐殺行為の実行者として記述する。もし、その証言がウソであれば、戦友の名誉を毀損するのは、当然のことである。
 次に紹介するのは、南京戦に関する「日記」の出版が告訴されて裁判となり、裁判所が「日記」の記述が虚偽であると判決したケースである。
 それは、東史郎の「日記」に関する裁判である。南京戦に兵士として従軍した東は、南京戦当時から「日記」をつけており、そのなかには日本軍が数々の残虐行為を南京で行ったことが記録されていると主張している。彼は、その「日記」をもとに『わが南京プラトーン』という著書を出版し、その「日記」自体も『南京事件京都師団関係資料集』に収録されている。
 その「日記」のなかに、南京中心部で当時の上官が中国人を郵便袋に入れ、これにガソリンをかけて火をつけ、さらに手榴弾をくくりつけて爆発させて、その中国人を殺したという記述がある。これに対して、この元上官から名誉毀損罪で告訴された。この裁判は「東裁判」とよばれ、マスコミにも注目されたが、東京地裁、東京高裁ともに訴えた元上官が勝訴している。
 これに対して、東は最高裁に上告したが、二〇〇〇年一月二十一日最高裁は一、二審判決を支持し上告を棄却した。東証言を重視する中国政府側は「虐殺を否定する不当な判決だ」と反発しているが、これまでの裁判を通して、次の二つの点が明らかになっており、既に「東日記」に信憑性はないと判断されている。
 一つは、東が記述した残虐行為が可能か否かという点である。これについては、東が記述した残虐行為は物理的に不可能であり、実際にはあり得ないと判定された。
 もう一つは、その原典である「日記」そのものに信憑性があるかどうかという点である。控訴審では、東が戦前に書いたとされる「日記」の現物が裁判所に提出されたが、南京戦に関する部分は「日記」の現物は提出されなかった。東側は「日記」のその部分は、当時「懐中手帳」に書き、それを二、三年後に書き写したと主張したが、その「懐中手帳」は法廷に提出されなかった。さらに、東は、ある展示会に貸出したところ返却されなかったと主張したが、その主張は、展示会の責任者などによって否定された。
 また、東京高裁は、東の「日記」の提出された部分についても、「全てが昭和十五年から十九年にかけて書かれたわけではなく、内容によってはかなり後年(終戦後に)加筆修正された部分もあるのではないかとの疑問も生ずる余地がある」と判定した。
 そうした検討の結果、東京高裁は、「いずれにしても、昭和十三年三月以前(編者註・南京戦の頃)についての原資料である懐中手帳などは存在しない」と判定、この判定を最高裁も支持した。昭和十三年三月以前に関する原資料がないとすれば、東の主張自体を根底から疑わしいとするのは当然のことであろう。
 <南京大虐殺>の有力な論拠とされる、こうした兵士の「自白」に、信憑性がないことは既に立証済みなのである。(p107)