占領軍の検閲

『抹殺された大東亜戦争勝岡寛次

 一九四五年(昭和二十)八月六日、米国は人類史上初の原子爆弾を広島(人口三十一万人)に投下し、たつた一発の原爆で、二十万人以上の罪もない市民が虐殺されることになつた。三日後の八月九日には、長崎に二発目の原爆を投下し、ここでも七万人以上の生命を奪ひ去つた。(p409)


 次には占領軍は、南京やマニラでの日本人の「虐殺」行為を捏造・強調することで、自らの贖罪意識を相殺せんとする挙に出たのである。(p411)


 このとんでもない言ひ掛かりが、原爆に対する拭つても拭ひ切れない彼等の贖罪意識を相殺する手段だつたことは、検閲を担当してゐたPPB(出版・演芸・放送)課長スポールディングが一九四九年二月十日付で次のやうに述べてゐることからも明らかである。「ナガサキヒロシマは、マニラや南京で行った日本人の残虐行為と、たとえそれ以上でないにせよ、ちょうど同じくらい悪く、私たちの行為は、彼らの罪と相殺されるものである」(モニカ・ブラウ『検閲一九四五~一九四九――禁じられた原爆報道』
 占領軍の「謀略」とでも称すべきかうした検閲は、原爆と日本人の残虐行為を抱き合わせる発想を、しかし日本人の間にも確実に浸透させていつた。(p413)