陸軍大学校の教育

『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』牧野邦昭

 したがって総力戦研究所もその研究成果がかなり過大に評価されている面があるが、むしろその「成果」は「教育機関」としてのそれの方が重要であると考えられる。西浦が「その時一緒にはいっていた者がみんな各省の次官クラスになって、大いに総力戦研究所が敗戦後の処理に役に立ったと言って、私も随分方々から言われました」と述べているように、総力戦研究所は「大学院大学」として戦後に活躍する人材の育成に役立った。
 さらに総力戦研究所での「演練」中心の教育は、そこに参加した官僚が受けてきた大学における座学・知識中心の教育とは大きく異なるものであった。総力戦研究所初代所長になった飯村穣は長く陸軍大学校教官を務め、昭和一三年には同校校長にもなっているが、「陸大の教育は、知識を与えるよりは、観察力、思考力、判断力等を養う頭の体操、否剣術を主とした。この教育法は、よかったと思う。これらの力をもっていれば、事に当たり、適当に、わが行く道を発見し得るからである」と、「知識を与えるよりは、観察力、思考力、判断力等を養う」陸軍大学校の教育を評価していた。そのため飯村は教育機関としての総力戦研究所でも座学よりもアクティブラーニング的な教育を行った。(p146)