纏足

『ワイルド・スワン(上)』ユン・チアン

 祖母は、二歳のときに纏足をはじめた。祖母の母親(彼女自身も纏足されて育った)は、まず祖母の足の親指をのぞく四本の指をぜんぶ足の裏側へ折りこむように曲げ、六メートルほどの白い布でぐるぐる巻きにした。そして、上から大きな石をのせて、足の甲をつぶした。祖母は、激痛に大声をあげ、おかあさんやめて、と叫んだ。母親は、娘の口に布を押しこんで声を封じた。祖母は、あまりの痛みに何度も気を失ったという。
 纏足は、完成するまでに何年もかかる。骨を粉々にくだいた後も、足は昼夜ぐるぐる巻きに縛っておかなくてはならない。布をはずすと、その瞬間から足がもとにもどろうとするからだ。何年ものあいだ、祖母は耐えがたい痛みに日夜さいなまれつづけた。「足をほどいて」と祖母が懇願するたびに、母親は涙を流して、纏足をやめればおまえの一生がだいなしになる、おまえの幸せのためなんだよ、と言い聞かせるのだった。
 当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足していない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出ていってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑のことばを口にする。母親のなかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間の非難をあびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである。
 纏足の習慣は、いまから千年ほど昔に後宮の女性が始めたものだそうだ。男は纏足した足でよろめきながら歩く女の姿に気をそそられ、刺繍をほどこした絹の靴に包まれた小さな足をもてあそんで欲情したという。おとなになっても、纏足布は巻いておかなくてはならない。縛るのをやめると、足はふたたび成長しはじめるからだ。纏足布をほどくのは夜の床入りのときだけで、そのときは柔らかい絹の睡靴をつける。纏足布も履き物もつけない裸足を男の目にさらすことは、めったにない。纏足布をはずした足は、表面の肉が腐って、いやな臭いがする。私が小さかったころ、祖母はいつも足が痛いと言っていた。買い物から帰ってくると、祖母はとにかくまず湯をはった桶に両足を浸して、ほーっと安堵のため息をつくのだった。そうしておいて、こんどは死んだ皮膚を削り取る。骨が砕けたところだけでなく、つめが足の裏にくいこむところも痛むと言っていた。
 祖母が纏足をはじめたのは、ちょうど纏足の習慣が消えようとしていた時代だった。祖母の妹が生まれた一九一七年に纏足の習慣がほとんどなくなっていたので、妹は拷問のような痛みを経験せずにすんでいる。
 とはいえ、祖母が小さかった時分には、良縁を望むならば纏足は絶対に必要な条件だった。(p19)